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あーもーなー

演劇したのちダンスしてきた三十路がとっちらかしております。

人の真剣と蛇足のおじいちゃん

三ヶ月で彼女と別れた。みじけーよ。知ってる。なんなら三ヶ月経ってはいない。

最初に会ってセックスした後、積極的に付き合うつもりはなかったんだけど、話してる感じ良い子でしっかりしてる風だし、顔も悪くないし、セックスの後の居心地も悪くなかったから、付き合うのもありかなあ、うーんていう感じだったから、付き合いたいと言われて、付き合うことにした。子持ちだったけど。

三ヶ月持たずに別れた。付き合ってるうちに自分の気持ちが高まってくるかな、なんて少し思っていたけど、そんなこともなく、緩やかに下降、付き合うのがしんどいと思うようになり、そこから二週間くらいで別れを切り出した。

子持ちの女の子の彼氏作りはしんどいと散々言っていたので、別れの理由は単純に気持ちが冷めた、その子が俺を思う気持ちに俺がまったく追いつけなくてそれに不満なのがしんどいということになっている。

仮に子供がいなくても、若干先延ばしになっただけで、こちらから別れを切り出していたと思う。子供の存在は、将来的なその子との結婚を考えていないと伝えていた自分に、結婚とかではなくパートナーが欲しい、という強がりで装った言葉を言ったその子の装いの下からはみ出ていた再婚願望が丸見えの状態では、かなりマイナスな要素だったのは間違いない。

別れた後すぐ、定期検診で性病が見つかったと。多分俺からだと思う。自覚症状はなかったが、半年以上前にセックスをした子から不意に、クラミジアの陽性反応が出たから検査した方がいいと言われていた。別れる少し前のこと。半年以上前のことだし自覚症状もないから大丈夫だろうと、タカをくくっていた。完全に甘かった。付き合ってから、安全日だから生でしようと言い出したのは彼女ではあるけど、それを拒否しなかったのは自分で、本当にその子との関係を真剣に考えているなら、妊娠の可能性も含めてゴムをつけるべきだった。そして、その子からの不意の連絡の後、別れを切り出した日に、どうしてもセックスがしたいと言う彼女のお願い、もはや誘惑もくそもなくお願いと言った方が近い行動に根負けして、その時はピルを飲んでいたからとゴムをつけなかったのも自分だった。

自覚症状がないだけに、別れてすぐ性病と聞かされた時は情けないやら恥ずかしいやら。

翌日自分も検査しに行ったのだけど、webで調べて行った近場の性病科のある病院が、80歳はゆうに超えるかというおじいちゃんの医院で、昭和を通り越して大正を感じさせるほどの古びた内装に不安を覚えつつ、おじいちゃんの対面に座るやいなや、自らの股間を手のひらで軽く叩きながら、ここの調子があおかしいのかあ、と外見に違わぬ調子で訊ねてくる。経緯を伝えて尿検査。息子らしき助手さんがそこに何かしらの薬剤を入れ、おじいちゃんに渡し、それを掲げ、中の尿を見てみなさいと。見てみると白い糸状のものがちらほら浮かんでいる。説明によると、尿道の炎症でできる膿が排出されて薬剤に反応しているらしい。なるほど。

で、肝心の性病の原因菌の有無などの検査もなく、こういう時は大体クラミジアだから抗生物質を出しておくと言われ、喉に関しては何の検査もしなかったので、これ大丈夫ですかねと聞くと、今度はズボンを膝まで下ろしてみろと。言われるがまま立ち上がりズボンと下着を下ろす。そして伸びてくるおじいちゃんのしわっしわな手、つかまれる睾丸。にぎにぎ。睾丸にぎにぎ。一言、玉あ大丈夫だ。じじい、喉はどうなった。という感じで、受付から、尿に薬剤を入れたり、じじいとの覚束ない会話の補助などをしてくれている息子助手を見て、見るだけじゃ伝わるか不安なので聞くと、抗生物質は菌が喉にいても性器にいても効果あるから大丈夫ですと。早く言ってくれ。ということで抗生物質を手に雨の中を帰宅。正直、病院の玄関を見た時点で放たれる大正臭にワクワクとドキドキが止まらなかったのだが、期待通りの場所だった。ありがとう。

 

そして後日、元彼女からまた連絡があり、インスタ経由で、ある女の子が俺とほっぺたをくっつけた写真をあげてて、別れたのにヤキモチを焼いちゃうと連絡が来た。

何のためにLINEをブロックしたよと元気よく俺に言ってきたのか。SMSって。ま

性病に関しての連絡の時点でSMSに切り替わっているわけだが。

さておき、自分は別れを告げた当日に全て終わって、感情のこもったやり取りをするつもりは一切なかった。向こうもLINEを自分からブロックしたくらいだし、そうなのかなと、性病云々は優しさで教えてくれたことだし、インスタのアカウント作ったらフォロー候補の中に俺が出てきたからフォローした、ビジネス運用考えてるしフォロワー多い方が良いからフォローしてねって言ってきたのも、終わったことだから割り切れてるのかなと考えていた。理解はできないけど。ところが、女の子と仲よさそうに写っている写真、しかもわざわざその子のアカウントまで飛んで、見て、そこそこ投稿がある中から見つけて、ヤキモチを焼いて、涙止まんないよ、と連絡をするということをしてきた。

ヨリを戻そうとかは思ってもないし意味のないことだと思うけど連絡してしまった、と言う彼女の文章と、基本的に私は男に不自由したことがないと言う発言、普段の言動のがの強さからの推測だと、悔しかったんだろうなと。他に女が出来てそれで振られたのが悔しかった。それに、私に対して嘘の理由を言って別れ話をされたと言う考えからくるショック。その子のことは悪からず思ってるのは認めるが、その子と出会う前から別れのことは考えてたし、その日に言おうと思ってたのも本当のことだと伝える。特に嘘もない。言ってることに嘘はないけど、元彼女への恋慕の情も何もない現状だと、優しくして今後も連絡が来たりSNSで絡まれたりするより、ちゃんと嫌いになって早く興味をなくして欲しいという願望が先立って、情のなさも相まって冷たくなる。

その後も、私はいい男見つけて幸せになるとか、以前に俺が別れようかと言った時のものの言い方や今回のやり取りで言われた一言がショックで、そういう人を簡単に傷付ける言い方をする人は苦手という、プライドからくるのか何なのか、別れた今言わなくてもいいよねそれという発言、そして、短い期間でもあなたの想い人であって幸せでしたという綺麗な文言が続くアップダウンのあるやり取りは続き、最後に、インスタも電話、SMSもブロック、拒否してという要望を言われて、俺はするつもりないよと伝えても、今後のために必要だからして欲しいと言われ、する。

最後に、から元気を振り絞るようなバイバイの言葉を送られ、終了。その間、そのやりとりがしんどすぎて、タイミングを見て、おやすみ、元気でね、などと切ろうとしたが、それを意に介さないようにヒュンヒュン飛んでくるメッセージに相手をしている自分がいた。無視はできる限りしたくないし、こちらから連絡取れなくするのは振り逃げな感じがしてださい。本当に面倒でメンタルがやられそうならやむなしとは思う。

動機がプライドなのか未練なのかはわからないけれど、これが真剣ということなのか、と、結構な量の疲労感とともに実感させられるやり取りだった。

えい

二月に入り、夜の飲み屋閑古鳥の満員御礼でまあ暇で暇なわけでして、それはもう早く店仕舞いをすることが多い訳です。

そうすると、電車通勤の僕は始発待ちをするのが常なんですが、去年の暮れ辺りから、送りのドライバーさんの了承を得られれば、帰りの手段として使っていいよという許可が出まして、年末とかの忙しい時期は始発の時間まで通常通り営業することが多くそんなでもなかったんですが、年が明け一月も半ば頃からの暇さ加減により、ドライバーさんに送ってもらうことが増えている訳です。ちなみに僕は仕事がお水のボーイでして、キャストの女の子はたいてい送りドライバーの車に乗って帰る訳です。出勤は各自電車などの公共交通機関を用いますはい。

で、ドライバーさんに送ってもらう日だと、早くて深夜3:30頃には最寄り駅に着いてしまいまして、これは始発で帰宅すると6時頃になる僕からしたらエラい違う訳です。

そんな日は、家に帰る前に近くにある区の体育施設の玄関付近で、ドアにほんのり映る自分の姿を見ながらダンスの練習をしたり、家に帰ってからDJの練習したり、未読の本に目を通したり、たまってる洗濯物をしたり、長い尺のエロ動画なんかも堪能出来てしまいます。これは画期的。

なんならそそくさと布団に入って寝てしまうことも可能。

ということで、早く寝て何故か一、二時間毎に目が覚め、目を閉じる毎にやたら鮮明に夢を見るという珍しい睡眠活動を終えてアホみたいに早起きしてしまった時間つぶしは以上になります。ご拝読ありがとうございました。

つらつら

文章を書こうと思ったから投稿画面を開いたものの、書こうと思ったのは半日前だしその時点で何を書こうと思っていたのかは既にあの頃の僕の思考は霧散してしまってかき集めても同じ形を成さないのは明らかなのでつらつらと適当に。

とは言え、多趣味なわけでもなく、ダンスとクラブと音楽とたまに読む本とまれに見る映画とツイッターやLINEニュースで見る割とキャッチーな情報を大して噛まずに飲み込んで地肉にもならずに消費してる自分がいるなあと思うわけです。

学生の頃から、数学意外の勉強はまあ出来た。本当に数学はてんでダメだったけど。そういう自分がいたから、頭は悪くないと思ってたんだけど、その発想が既に頭悪いなと気付くのは大学に入ってからだったか、高校二年生時分に、変人と天才の境界線が見えない一平君とか理知の塊のハナワに会った頃からか。

ともかく頭の使い方が今以上に固かった。側面から見るとか利害関係を考慮するとか今でも苦手というかあんまり、いやほとんど出来ないけどそんな今よりもっと酷かった。でも違う言い方が出来るとすれば、とても素朴だった。そしてもちろん根っこの部分は今でも変わらず素朴なのだと思う。

自分語りをするつもりはなかったけど、自分のことが大好きなので基本何かを考える時はハナから自分にベクトルが向かう癖が付いているなあと思うけど割とそういう考え方が大勢なんじゃないのかな?あれ?そうでもないのかな。

と、こんなことを書いてる間もセクキャバでの仕事中で、カーテンを隔てた横の部屋ではそこそこ残念な見た目のキャストがキャイキャイしていて、この文章を打ってるスマホの画面にはハタチそこそこの最近丸みを帯びてきたセフレからのLINEが来てるよって通知が来てて、素朴さは微塵も揺らがんなこれはと思っています。未だにアーバンな人間関係が良くわからんよ。自分の都合と相手の都合を上手いこと折衝して自分に都合の良いように持ってく人が強者なのはとてもよくわかるけど、そんな自分にだけ寄せるコミュニケーションするほど目の前の相手のこと嫌いになれない時に心を鬼にすることが未だに出来ません。嫌われるのが怖いだけだろって時もあるけど、そうじゃない時もあるんだよね。情は自分の弱さや寂しさの裏返しな時もあるよね危なっかしいな全く。落とし所を考えずに書いてて当然のごとく落ちないのでこれまで。ただ無為に、気持ち整理された程度の言葉を書き連ねるのも趣味に入れときます。

ロマンチックな言葉遣いをする人

夢みたいな現実を生きている人がいる。
それは何も、芸能人とか世界的なセレブリティのことではなくて、普通に働いて普通に遊んで普通に泣いたり笑ったりしてる人の話。

二元論でも一元論でもどっちでもいいけれど、認識している世界そのものはあまり変わらなかったりするし、話しててズレもそこまで感じないのだけれど、彼ら彼女らとやり取りをしているとふとした時に違和感を覚える。

それは例えば、目標を語る時であったり、思い出を語る時であり、自分を語る時だったり、誰かを語る言葉であったり。

この文章を書いてるのは、親友という言葉が引っかかったから。

俺という他人と話している時に、「親友がさ」と第三者のことを言うだろうか?仮に誰のことを指しているか俺が理解できるとしても。
あくまで俺の現実では、言わない。きっと地元の連れとか、大学時代の友人と言うだろう。親友というのは、それを語る本人がその人のことをどう認識しているかがメインであって、自分以外の他人と話す時の主語や目的語としてはあまり適さない気がする。
何より「親友がさ」とか、「昨日親友と遊んで」とか言うの恥ずかしくないか?
親友という言葉を大した温度感も持たせずに使うのはなかなか至難の技だと思っていて、酒の勢いだとか、感極まるようなシチュエーションだとかが必要になる。そもそも単純に「友達」とか、仲の良さを言うにも「仲のいい子」とか、そう言えばいいんじゃないか?
親友というのは素晴らしいと存在だと思うけど、それを平坦な文脈の中で使うのはとてもサブくて、聞いているこちらが照れそうになる。秘めたるが花の感覚に近いのかもしれない。繰り返しになるが、親友というのは関係性を表す言葉ではなくて、言ってる本人がその相手に対してどう思ってるかだ。更に言えば、彼氏彼女という存在と違って付き合おうという言葉のやり取りがないわけで、お互いがお互いのことを仲の良い友達ではなくて「親友」と思ってるかは確認しようがない。面と向かって「俺たち親友?」と聞かれて、明確に批判されても、そうに決まってるだろとい言われても、それを信じるか信じないかの問題でしかない。

そういう言葉をさらっと言うのはなぜかと考えるに、自分が信じたことは本当のことと思える謎の自負があるから。
俺はそれを夢やロマンだと思う。挫けそうになるところを踏ん張って、心のどこかで弱気なことをいいそうになりながら、強がってそう言っているわけではない。謎の自負が悪いわけではないし、羨ましいと思うことの方が多い。もちろんただただ生活に困ったこともない世間で揉まれたこともないまだ結果も何も出したことのない裕福な実家暮らしの学生の戯言として嫌いであり可愛くもあるけれど。でもやっぱりそういう子の言葉は、現実味のない夢とロマンに思えてしまう。

まあでも、生まれに恵まれたら人生かなり楽に進むのは実際間違いないから本当怖いわよねっ!(≧ω≦)b

きっと彼女も、この先何年も、上手くいけば死ぬまで、俺からしたら夢みたいな考え方と言動のまま生きていけるんだろう。
羨ましいし、そういう子に惹かれる自分がいることは否定出来なくて馬鹿だなと思う。要するに、ただ恋愛が上手くいってないだけの話でした。



あーーー

一人相撲をとっている。
冷静になればそういうことでしかないことは理屈としてわかる、というか、そう理屈で思わないと空虚な穴の存在感にやられる。
誰も同じ土俵に立ってはいない。みんなそれぞれ違う土俵の上で、自分なりの押し引きをめちゃくちゃリアルなバーチャルな相手としてる。
そうとしか思えない。
そう思わないとやってられない。

やってられない気分を咀嚼して飲み込んでむかむかした状態が少しでも緩和したくて、日記を書くことにした。
文章にしたら少しは自分の中でこのむかむかした感覚が少なくなるのかな、という、割と本当にただそれだけの考えで、いつかこの文章を見返す僕に向けて、何の因果かこんな日記に辿り着いたどこかの誰かが読むかもしれないのかなという思いもありながら、ずっとずっとムカムカしてあーもうってなってる状態でただただスマホのキーボードをフリックしている。
画面の空白が文章で埋まっていくのは悪い気分じゃない。
穴だと思ってた暗い部分は、ただ黒く染まってるだけの一人よがりな自分のエゴの発露なのかな。
書き散らかすつもりだったのに思いの外文章が荒ぶらなくて悲しい。