あーもー

演劇したのちダンスしてきた三十路のスカウトがとっちらかしております。

ロマンチックな言葉遣いをする人

夢みたいな現実を生きている人がいる。
それは何も、芸能人とか世界的なセレブリティのことではなくて、普通に働いて普通に遊んで普通に泣いたり笑ったりしてる人の話。

二元論でも一元論でもどっちでもいいけれど、認識している世界そのものはあまり変わらなかったりするし、話しててズレもそこまで感じないのだけれど、彼ら彼女らとやり取りをしているとふとした時に違和感を覚える。

それは例えば、目標を語る時であったり、思い出を語る時であり、自分を語る時だったり、誰かを語る言葉であったり。

この文章を書いてるのは、親友という言葉が引っかかったから。

俺という他人と話している時に、「親友がさ」と第三者のことを言うだろうか?仮に誰のことを指しているか俺が理解できるとしても。
あくまで俺の現実では、言わない。きっと地元の連れとか、大学時代の友人と言うだろう。親友というのは、それを語る本人がその人のことをどう認識しているかがメインであって、自分以外の他人と話す時の主語や目的語としてはあまり適さない気がする。
何より「親友がさ」とか、「昨日親友と遊んで」とか言うの恥ずかしくないか?
親友という言葉を大した温度感も持たせずに使うのはなかなか至難の技だと思っていて、酒の勢いだとか、感極まるようなシチュエーションだとかが必要になる。そもそも単純に「友達」とか、仲の良さを言うにも「仲のいい子」とか、そう言えばいいんじゃないか?
親友というのは素晴らしいと存在だと思うけど、それを平坦な文脈の中で使うのはとてもサブくて、聞いているこちらが照れそうになる。秘めたるが花の感覚に近いのかもしれない。繰り返しになるが、親友というのは関係性を表す言葉ではなくて、言ってる本人がその相手に対してどう思ってるかだ。更に言えば、彼氏彼女という存在と違って付き合おうという言葉のやり取りがないわけで、お互いがお互いのことを仲の良い友達ではなくて「親友」と思ってるかは確認しようがない。面と向かって「俺たち親友?」と聞かれて、明確に批判されても、そうに決まってるだろとい言われても、それを信じるか信じないかの問題でしかない。

そういう言葉をさらっと言うのはなぜかと考えるに、自分が信じたことは本当のことと思える謎の自負があるから。
俺はそれを夢やロマンだと思う。挫けそうになるところを踏ん張って、心のどこかで弱気なことをいいそうになりながら、強がってそう言っているわけではない。謎の自負が悪いわけではないし、羨ましいと思うことの方が多い。もちろんただただ生活に困ったこともない世間で揉まれたこともないまだ結果も何も出したことのない裕福な実家暮らしの学生の戯言として嫌いであり可愛くもあるけれど。でもやっぱりそういう子の言葉は、現実味のない夢とロマンに思えてしまう。

まあでも、生まれに恵まれたら人生かなり楽に進むのは実際間違いないから本当怖いわよねっ!(≧ω≦)b

きっと彼女も、この先何年も、上手くいけば死ぬまで、俺からしたら夢みたいな考え方と言動のまま生きていけるんだろう。
羨ましいし、そういう子に惹かれる自分がいることは否定出来なくて馬鹿だなと思う。要するに、ただ恋愛が上手くいってないだけの話でした。